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大相撲名古屋場所  新横綱・大の里への期待
小林 信也(作家・スポーツライター)

両国の横綱像。大の里関には、「令和」の大横綱になってほしい、という期待は大きい──。

社会・教育

大の里は新しい時代の「心の絆」になれるだろうか

 大の里に初めて会ったのは、彼・中村泰輝だいきが新潟県立海洋高校2年の初夏。ある表彰パーティーの席だった。
 言葉を交わしてすぐ、(この青年が将来、横綱になってくれたら、日本の大相撲は楽しみだ!)と夢を描いた。すでに身長190㌢を超え、体重は「160㌔くらい」と言っていた。それなのに、太った印象はなく、足が長く、スマートな躍動感がみなぎっていた。そして何より、受け応えの心地よさ、聡明さ、人柄のやわらかさに胸が弾んだ。

新著『大の里を育てた<かにや旅館>物語』(集英社インターナショナル刊)

 以来、インターハイなど主な大会に出かけ、応援を続けた。日本体育大学進学後はインカレ、全日本選手権、国体など、できるだけ応援(取材)に行って、成長を見つめ続けた。その経緯は5月末に発売された単行本《大の里を育てた〈かにや旅館〉物語》(集英社インターナショナル)に詳しく書いた。
 世間では「史上最速、入門からわずか13場所での横綱昇進」を驚く声が大きいが、ずっと応援して来た者は少し違う感慨を抱いている。本当に横綱にまで昇進したのは大したものだ、節制と努力の賜物だと敬服すると同時に、「ようやく大の里が居るべき場所に辿たどり着いた」という安堵感もある。これで落ちる心配はもうしなくていい。「ここからが真価を発揮するフェイズ。本当の大の里物語の始まりだ」と感じてもいる。

 横綱になって最初の名古屋場所が7月13日に初日を迎える。
 今年の名古屋場所は、例年以上に華やかな話題で彩られている。会場が新設されたIGアリーナ(愛知国際アリーナ)に変わった。最新設備を備え、建物自体は両国国技館より大きい。その舞台に新横綱の大の里が登場する。東の横綱・豊昇龍と並んで約4年ぶりに東西の横綱がそろった。

◇三場所連続優勝なるか、全勝優勝は実現するか──大きな期待は酷
 大の里の三場所連続優勝なるか、今場所こそ全勝優勝は実現するか。大の里ファンは夢を膨らませている。一方、横綱昇進後まだ優勝のない豊昇龍ファンは今度こそ賜杯を手にすると期待しているだろう。

 冷静に分析すると、優勝にいちばん近いのは豊昇龍に違いない。ケガもえ、横綱としての責務にも慣れて本来の体調を取り戻したように見える。新横綱になるとすべてが新しい体験、そして忙しい。協会の行事、広報対応、先輩力士の断髪式では横綱土俵入りも披露する。大関時代にもなかった様々な公用に追われる。稽古が第一のはずだが、日本相撲協会の〈看板〉である横綱に、稽古に専心する自由は与えられない。責務を果たしながら土俵では万全な相撲を取る、その両方を求められる。豊昇龍はようやくそのような過酷な使命を自分のものにしつつあるのではないだろうか。五月場所の千秋楽で、大の里を破り全勝優勝を阻止した一番にその気概があふれて見えた。
 大の里は、初優勝後の昨年名古屋場所は9勝にとどまった。大関昇進後の九州場所も9勝。優勝や昇進で取材も祝賀行事も急増し、十分に稽古ができない日々が続く。大の里はそうした忙しさを楽しんでいるように見えたが、疲労も否めなかった。

 新横綱になったばかりの今場所も大きな期待は酷だと感じている。しかも名古屋は格別に「熱い」と言われる。過去2度の名古屋場所を経験しているが、いずれも苦い結果に終わっている。最初(令和5〔2023〕年)は幕下3枚目だった。時疾風ときはやて輝鵬きほう(現・川副)に敗れて2敗。十一日目に石崎(現・朝紅龍あさこうりゅう)にも敗れて3勝3敗となった。7番相撲を落とせば負け越すピンチに追い込まれた。運命の一番までの丸二日間、かなりの重圧に苦しんだと後日教えてもらった。

◇恩師の言葉で乗り越えたプロの壁 「唯一無二」の力士に
 プロ入り後、小兵力士の変わり身の早さに苦しんだ。土俵際で、勝ったはずの勝負を逆転される相撲がたびたびあった。立ち合いもまともには当たらせてくれない。大の里が真っすぐに圧力をかけたら大抵の力士はひとたまりもないはずだが、そこは相手もプロで揉まれた猛者もさ。まともに当たらせてくれない。気がつけば、変わられ、崩され、大の里が土俵にわされるような、アマチュア時代には決して見たことのない負け方を何度も見せられた。それほど、プロのレベルは厳しかったのだ。

『相撲』2025年6月号

 悩んだ末に、大の里は海洋高校時代の恩師に電話をかけた。村山智明前監督。高校時代から大会前一緒に相手の取り口を分析し、戦い方を確認するサポートをしてくれたのが村山だった。どうすればいいのか、大の里は村山に尋ねた。
 「考えすぎないで、思い切り当たればいい」
 そう言われて、大の里はふっきれた。何気ない言葉。だが信頼する村山に言われて、頭の中の霧がすっかり晴れた。お陰で、英乃海を危なげなく破って勝ち越した。あの一番に負けていたら今、横綱の地位にはいない。出世が遅れた。悩みの沼にはまって遠回りした可能性もないとは言えない。名古屋場所の七番勝負はその後の相撲人生を大きく左右する一番だった。

 ちなみに大の里は、その後再び大事なことを村山に相談している。大関伝達式の口上をどうするか、考えあぐねていた。そこで村山に相談したところ、大の里の父親が中学時代からずっと「唯一無二の力士になれ」と繰り返し語っていたことを思い出させてくれた。それで「唯一無二の大関を目指し、相撲道に精進します」という、多くの人の心にズシンと響く印象的な口上が生まれた。

◇被災地で悟った「力士」の特別な力──日本の伝統美、伝統文化を体現
 さて、そういった苦悩の思い出の多い名古屋だから、今場所、新横綱で大活躍する可能性は高くないと覚悟した方がいいと思える。しかし、日々伝えられるニュース映像で、貫禄たっぷりの横綱土俵入りを演じる大の里の雄姿を見ると、横綱の地位が大の里に新たな力を与えているようにも感じられる。案外、危なげなく白星を重ね、千秋楽の横綱対決で日本中を沸かせてくれるのではないかと、やはり期待もこみあげてくる。

 いずれにしても、大の里への期待は今場所にとどまらない。これから十年近く、相撲界の中心で活躍してくれるだろう。いつか全勝優勝もしてくれるだろう。大鵬や貴乃花、白鵬の優勝回数にどれだけ迫れるか。双葉山の連勝記録を抜く日は来るか。様々な夢が頭をかけめぐる。

 いや、中でも本当の願いは、数字や記録ではない。大の里が相撲の歴史に新たな輝きを加え、日本社会を明るい希望で満たす存在になってくれること、それが何よりの願いだ。
 「能登で、お相撲さんの力を思い知らされました」

大の里(日本相撲協会HPより)

 昨年2月、そう話してくれた大の里の表情が今もはっきりと浮かぶ。関取に昇進した直後、同じ石川県出身の遠藤、輝と能登半島地震の被災地を訪れた。大の里がその時に受けた感慨を神妙な顔で話してくれた。
 「自分たちが紋付き袴姿で避難所の体育館に入った途端、涙を流すお年寄りが大勢いらした。その雰囲気に、自分の方が圧倒されました。プロ野球選手やJリーガーが行っても騒がれるでしょうが、ああいう雰囲気にはたぶんならない。つくづくお相撲さんの力を思い知らされました」

 お相撲さんはやはり格別な存在感を持ち、日本人の心の奥の深いところでつながっているのだと、大の里は悟った。人々に希望と勇気を注ぐ。それこそが自分に与えられた使命なのだと。その言葉を聞いて、改めて大の里を心から応援したい、この力士にこそ横綱になってほしいと願った。

 相撲はインバウンドの人気も高い。ファンの高齢化が言われるが、若い世代にも相撲ファンは増えている。欧米の文化に憧れ影響される一方で、日本の伝統文化への深い憧憬しょうけいも若い世代には広がっている。大の里がそうした日本の伝統美、伝統文化の貴さを体現し、人々の心を結ぶ絆になってくれたらうれしいと願っている。

【略歴】
小林 信也(こばやし・のぶや) 作家、スポーツライター
1956年、新潟県長岡市生まれ。慶大法学部卒。県立長岡高校硬式野球部時代はエースとして、春季新潟県大会を優勝に導いた。文藝春秋『SportsGraphic Number』編集部などを経て独立。本格的に著述活動を始め、テレビやラジオでも活躍。現在は『週刊新潮』「アスリート列伝 覚醒の時」などを連載中。最新刊『大の里を育てた<かにや旅館>物語』(集英社インターナショナル)。他に『宇城憲治師直伝「調和」の身体論 武術に学ぶスポーツ進化論』(どう出版)、『少年 大谷翔平「二刀流」物語』(笑がお書房)、『天才アスリート  覚醒の瞬間』(さくら舎)、『能生仕込み相撲道 海洋高育ち力士のいま』(新潟日報メディアネット)など多数。詳細はHP「小林信也の書斎」 、YouTube「小林信也チャンネル」。

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