食料安全保障論の限界
人口減少に応じた農業、「耕境政策」の提言
小川 真如(宇都宮大助教)

山を切り拓き、水平を多く作った結果生まれたのが棚田である
農業の豊かな価値を認識し、国土観を見つめ直そう
2024年夏のコメ不足騒動きっかけに日本の食料のリスク、食料安全保障に関心が高まっています。食料自給率で見ると日本はG7の中で38%(2023年度)と最低です。米国やカナダ、フランスは100%を超え、50%を超えているドイツ、イギリス、イタリアに比べても日本の自給率はかなりの開きがあります。こうした状況にある日本の食料安全保障をどう考えれば良いのか。宇都宮大学農学部の小川真如助教に解説してもらいました。
◇食料安全保障への不安に完治薬はない
「食料安全保障」への関心の高まりは、食料・農業・農村への理解につながりますから良いことだと思います。ただ、率直に言って「食料安全保障」という言葉は、あまり軽々しく使うべきではありません。と言うのも、「食料安全保障」は真面目に論じれば、国民をどこまで養えるのかという議論、裏を返せば、国民や国民の生活をどこまで切り捨てるのか、という議論を正面からしないといけないからです。さらに社会情勢の急変や天変地異などのリスクを挙げ始めたらキリがないことも議論が難しい理由です。
「食料安全保障」と言うと、有事の食料確保はもちろん、2024年の食料・農業・農村基本法改正では新たに「食料安全保障=良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ、国民一人一人がこれを入手できる状態」という定義も示されました(第二条)。そして、いずれにしても食料安全保障において、一切問題がない完璧な状態を実現するのは困難です。リスクは軽減できても完全にゼロにはできないですし、食料の質の確保は追求すればキリがありません。食料の量も「半年間安心」「1年間安心」「10年間安心」などと想定する期間を追求し始めたらキリがありません。

日が差す水田
端的に言えば、食料安全保障は「どこまでやれば十分か」よりも、「どこまでなら許容できるか」という基準で線引きされやすいテーマなのです。例えば想定されるリスクも台湾有事や原発事故などいろいろありますから、全部に対応はしきれません。その結果、「できるだけの範囲で最大限努力する」ということになります。そして、対策をすればするほど、実際の危機は思いもよらない出来事から起こります。そうした「想定外の事象」をしらみつぶしに全て対策するのは現実的に困難です。食料安全保障への不安に完治薬はないわけです。ですから、「これをやれば食料安全保障は大丈夫」といった単純な主張には注意が必要です。食料安全保障について真面目に考えている専門家ほど慎重に発言している印象があります。
◇食料自給率の意義──食料安全保障に関心を払う契機に
とは言え、食料安全保障の話はハードルが高いから議論できない、というのは問題です。その点で食料自給率は、議論する取っ掛かりとして、とても手ごろな指標です。食料自給率の目標がよく話題となりますが、指標はあくまで指標です。指標にどのような意味があるのか、どのくらい重要視すべきかを考えてみるなど、食料安全保障に関心を持ってもらうきっかけという役割にこそ、食料自給率という指標の意義があると思っています。
例えば、都道府県別の食料自給率(カロリーベース)から日本の食料安全保障の脆弱性を考えてみましょう。2022年度に東京都の食料自給率は0%でした。一方、最も高い北海道は218%と大きな差があります。北海道のように食べた量(熱量)よりも、生産した食料の量(熱量)が大きい場合には100%を超えます。ほかに100%を超えたのは青森、岩手、秋田、山形、新潟のわずか5県です。こうした状況下で何か有事が発生した場合には、食品の流通網の確保、あるいは食料生産が多い地域への速やかな人口移動が課題となります。
また、突発的に生産・流通上の問題が発生したり、原発事故などによって農地や水が局所的に汚染されたりした場合などを考えるとどうでしょう。何らかの影響で北海道や東北地方の食料生産・流通がストップしてしまえば、日本の食料自給率は大きく低下します。そうした事態を考慮すれば、食料生産の地域的な偏在化は、食料安全保障上のリスクを高めていると言えます。

コメを乾燥・選別・貯蔵する農業施設
国の食料自給率にだけ注目すれば、国内のどこの物を食べたとしても変わりはありません。しかし、都道府県別の食料自給率に注目した場合、どこで作られた物を食べるかによって、日本全体の食料安全保障上のリスクは変化することになります。コメの食料自給率はほとんど100%に近い値ですが、だからと言って「安心」ではありません。同じ国産米を食べても、どの地域のコメを食べるかで、日本の稲作の姿は変わるからです。
◇コメ産地の偏在化は食料安全保障リスクを増やす
2024年にコメが品薄となった要因の一つは、2023年の猛暑でした。気温や台風の影響など、自然現象の影響は、地域によって大きくばらつきがあります。コメを単なる商品として見れば、需要が大きいコメ産地でコメ作りが盛んになり、需要が小さいコメ産地でコメ作りが衰退することは、効率的な生産・消費につながります。しかし、コメ産地が偏在していくことは、コメ作りが盛んな地域で発生した自然現象などの影響の余波を、国全体で受けやすくなることを意味します。コメを単なる商品ではなく、基礎的な食料として見るならば、コメ産地の偏在化は食料安全保障上のリスクの増大を伴っていることを忘れてはいけません。
以上は、食料自給率に注目した話の一例です。食料自給率というと食料の輸入依存の話が取り上げられがちですが、このように、国産の食料についても考えてみることができるのです。
食料自給率は指標ですから現状や目標が注目されがちです。また、「食料自給率」は「上げなければならない」とか「あれは農林水産省が予算を確保するための方便だ」といった、どう見るかという意味付けがよく話題になります。しかし、指標はあくまで指標であり、指標自体に含意はありません。議論しにくい食料安全保障について考えるきっかけになるという役割にこそ、注目してもらいたいものです。食料自給率を指標として、もっとフラットに議論する人が増えた時、食料安全保障への国民的議論が深まるでしょう。
◇「耕境」の公益性を評価し、「耕境政策」の実現を急げ
食料安全保障の確保に向けて必要な政策をとして、「耕境政策」を提言します。
「耕境」とは、耕作による農業的利用が経済的に成り立つ限界地を指します。食料安全保障を確保するには「耕境」の改良・維持・拡大が何より重要です。すぐにでも荒れてしまうような山間の農地など、「耕境」をいかに維持してゆくかということに焦点を当てた政策が必要です。

中山間地域の田園風景
こうした「境」という部分が果たしている安全保障上の機能はあまり評価されていません。山との境にある農地・農村や、国境にある離島などで、食料を生み出すことができ、しかも人が定住しているということは、安全保障の観点から極めて重要であり、公益性を伴うものですが、こうした「境」を明確にターゲットにした所得政策や定住政策などの整備は進んでいません。
農業政策では、儲かる農業を推進するものもありますが、本当に儲かるならば政策の必要性は希薄となります。食料安全保障の確保に注目すれば、経済的に成り立ちにくいものの、食料安全保障の確保という公益性の観点から見て重要な「耕境」の領域にこそ、国が公共政策として関与しなければなりません。具体的には、中山間地域の耕境や離島などで人々が住み続けられるような「耕境政策」が必要なのです。
既に衰退した地域も少なくありません。しかし、空き家は目立つものの、人々が立ち去っていない土地も多くあります。「耕境政策」は地域に人がいるうちに講じることが重要です。人がいなくなり崩壊した地域を改めて利用できる土地にすることは困難だからです。まだ間に合ううちに、「耕境」の維持に向けた「耕境政策」の実現を急ぐべきでしょう。「耕境」が消失して、住宅地と山林が近づけば、市街地での獣害がさらに増えます。「耕境政策」は食料安全保障のみならず、安全安心な社会の実現を目指す上でも欠かせないのです。
ただ、現状では特別な「耕境政策」がないために、農業政策全体が「耕境政策」の様相を呈しつつあります。つまり農業・農村は最低限必要なだけ維持されれば良い、というような発想です。こうした短絡的な発想は食料安全保障の脆弱化を招いてしまいます。

水が張られた棚田
農業政策は「産業」「環境」「地域」「農村」など各種政策の側面がありますが、「耕境政策」という一面はこれまで特別視されてきませんでした。食料安全保障の確保・強化のためには、農業政策に「耕境政策」を明確に掲げたり、社会の安定化に貢献する分野横断的な政策として位置付けたりして、法律や政策を施行することが必要になると思います。
◇「領域X」の展望こそが未来を拓く
これから日本の姿を展望する時、国土の中でどこまで農業に取り組むか、ということがポイントになると考えています。現状では特別な「耕境政策」がないこともあって、「農業・農村は最低限必要なだけ維持されれば良い」という発想が、国民的議論のないままに広がりつつある気がしています。農業と食料安全保障との関係で言えば、「農業に従事した結果として食料安全保障が確保されている」のではなく、「食料安全保障のために農業をする」という考え方です。これは本末転倒な発想です。
現時点では、国内の農地全てを使っても国民の需要を賄えないため、「食料安全保障のために農業に取り組む」という考え方に違和感がないかもしれません。しかし、人口減少が進めば、食料安全保障からみて余った農地が生じます。
拙著(『日本のコメ問題』中公新書、『現代日本農業論考』春風社)で詳しく説明していますが、農地面積を維持した場合、農地面積と、食料安全保障上必要な農地面積が逆転する転換点Pを迎え、新たに余った面積(領域X)が発生します(図1)。
もちろん、農地がなくなっていけば、転換点Pは未来に先延ばしになります(図2)。
だからこそ、「領域X」という新たに余った面積の活用方策を向上させることで、未来の展望が拓けると考えています。より良い未来を展望することができれば、生産技術の向上によって、転換点Pを現在に近づけることも可能になります(図3)。
転換点Pの時期は計算方法によってかわりますが、カロリー(熱量)に注目して、全ての農地でコメと同じだけのカロリーを算出できると仮定すると、農地が維持されていれば2052年となります(図4)。
(小川『現代日本農業論考』春風社の図3-7より一部改変して作成)
将来の日本農業の姿を考えた時、「食料安全保障のために農業は重要」という考え方は変わっていないでしょうが、「農業は食料安全保障のためにするものだ」との発想が強まれば、国内の人口減少に伴って日本農業は衰退してゆくでしょう。領域Xで農業をする必要はないからです。
◇人口減少に合わせた国土利用……太陽光発電設備への転用も
ところで、領域Xは農業だけのものではありません。例えば太陽光発電設備への転用も考えられます。現在の技術レベルを基に推計すると、領域Xの全てを太陽光発電に活用すれば、2099年には2019年度の国内発電量(1兆247億kWh)を賄える計算になります。2100年には食料安全保障から見て必要な農地を確保しつつ、電力も国内で確保しているという未来も展望できます。

水田と太陽光パネル
人口減少に伴って領域Xが増えるペースに合わせ国土利用を変えながら、食料と電力の両方について自給力を持つ国へと日本が生まれ変わってゆくことも可能なのです。
ただ、現在はこうした長い時間軸での国土観を持たない結果、太陽光発電設備が無秩序に設置されているのが現状です。現時点では食料安全保障上の農地が足りていないことから、わざわざ山の木を切って太陽光発電をしているのです。さらに食料安全保障の課題があるにもかかわらず、農地も使っており、これには強い違和感を持つべきです。今こそ、人口減少に伴う変化を想定した時間軸を伴う国土観を養うことが必要となります。
領域Xの全てで太陽光発電に取り組む未来像は、現在から見ればギョッとする光景でしょうが、現在の見慣れた農地の姿も元々は人工的な構造物です。特に日本農業で盛んな水田稲作は水を張るために水平を作る必要がありました。日本人は国土に水平な面積をたくさん作り、そこでコメを介して太陽光エネルギーを食料に転換してきた歴史があるのです。棚田はまさに山を切り拓いて水平をたくさん作った結果生まれた光景でした。
◇農業の豊かな価値──働く生き甲斐、健康維持、環境、文化……
「全国各地でコメを作れる田んぼがある」というのは、それだけ日本人が国土を改造した結果でもあります。日本人にはそれだけの力があるのですから、領域Xの展望も何かしらできるはずです。それは、太陽光発電による電力の自給達成を果たすことかもしれません。しかし、そうした展望を拒否してでも、農業に取り組む価値が農業にはあるのではないでしょうか。
「農業は食料安全保障のためだけではない」という発想が強まれば、日本農業は新たな展開を迎え、領域Xの活用が進むでしょう。そうした段階になれば、食料安全保障の観点では語り切れなかった農業の豊かな価値、働くことによる生き甲斐や健康維持、さらには人間同士のつながりから環境や文化を育む農業が積極的に受け入れられている社会になっているでしょう。
このように、単に農業をするかしないかではなく、農業以外の使い方も含めた多様な未来の選択肢の中から農業を選びとるということ。食料安全保障の観点では語り切れなかった農業の豊かな価値が改めて認識された時にようやく、「食料安全保障のための農業」という発想に基づく社会ではなく、「農業に取り組んだ結果として食料安全保障が確保される」社会が実現されるでしょう。

夕暮れが映える水田
食料安全保障や農業を議論する際、短期的な結論が注目されがちです。食料安全保障で言えば、もし今何かあったら危険なのか、それとも大して問題がないのかを知りたい、といった類いです。農業も同じで、悲観論者と楽観論者のディベートのレベルにとどまっているのです。一歩離れて視野を広げ、日本人が歴史上初めて向き合うことになる領域Xに思いを馳せることで、悲観論者も楽観論者も同じ議論のテーブルで本格的に議論をすることができると思います。
国民一人ひとりが未来にある領域Xについて考えることで、日本の農業や農地の意味や価値、さらには日本人にとっての国土観を改めて見つめ直すきっかけになることを、私は期待しています。

小川 真如(おがわ・まさゆき) 宇都宮大学農学部農業経済学科助教
1986年、島根県益田市生まれ。早稲田大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。東京農工大学修士(農学)。専門社会調査士。農業共済新聞記者などを経て現職。東京農工大学大学院連合農学研究科助教、日本農業研究所客員研究員、農政調査委員会専門調査員なども務める。専攻は農業経済学、農政学、人間科学。主著に『日本のコメ問題』(中央公論新社)、『現代日本農業論考』(春風社)、『農業再生協議会論序説』(学術研究出版)、『水田フル活用の統計データブック』(三恵社)、『水稲の飼料利用の展開構造』(日本評論社)。